2011年3月11日
東日本大震災──私たちの価値観を根本から揺るがした日。
あの日、東京・下北沢で体験した揺れは、被災地の比ではなかったものの、決して忘れられない衝撃を残しました。
電灯が消え、電話が通じなくなり、街は混乱。
唯一動いていたのはマクドナルドのコーヒーマシンだけ。
その時、頭をよぎったのは「これからどうする?」という問いでした。
防災のためにキャンプを始めた理由
初めてすぐに、日常と災害、その境界線をなくし、「楽しみながら備える」ことを目的になりました。
そこで気づいたのは、防災の本質はモノではなく、行動なのではないか?ということ。
高価な防災グッズがあっても、使い方を知らなければ意味がありません。
「もしも」の時に動けるかどうか、それを決めるのは日頃の経験です。
本当に必要な「備え」とは?
- 準備9割:設計・計画が9割、実行は1割
- 初動の速さ:トラブルの多くは初動で高確率で解決する
- 即断即決:間違いを恐れず判断し、行動する
これは、私がサラリーマン時代に学んだことですが、防災にもそのまま当てはまります。
交通事故の80%は出発後と到着前の10分に起こると言われますが、災害も同じ。
「準備を怠り、誰かの助けを待ち、判断しない」
これこそが、多くの二次災害を引き起こす原因なのです。
「懲りない人」は本当に悪いのか?
しかし、それは必ずしも悪いことではありません。
忘れること=執着しないこと=現実を受け入れる力とも言えます。
極限状態では、こういう人が意外と強いのかもしれません。
私自身は「懲りるタイプ」なので、こうして防災の情報を発信していますが、「備えることは意外と楽しい」と伝えたいのです。
「備え」はモノではなく、経験と知識なのではないか
だからこそ、すべての防災グッズが役に立つとは限りません。
重要なのは、行動力・知識・経験です。
例えば、我が家ではキャンプを通じて、小学生の子どもが焚火担当になりました。
薪を組み、火を起こし、炎を育てることを学ぶ。
やがて、自宅でご飯を炊き、卵焼きを作るようになりました。
そのために、育てる道具として銅の卵焼き器や鉄のフライパンを与えました。
「便利」よりも「経験」を重視しました。
「誰かが助けてくれる」という考えを捨てる
しかし、まずは「自助」がなければ意味がない。
自分を助け、家族を助け、近所の人を助ける力を持つこと。
そのために、キャンプという手段を通じて「経験をしながら備える」ことが大切だと感じています。
「備える=買う」ではない
でも、本当にそうでしょうか?
極論はモノを揃えることが備えではなく、「使いこなせること」が備えだと思うのです。
自助とは経験と想像力で危機を乗り越えること
「災害を乗り越えるには、経験と想像力がすべて」なのではないかということです。
食べた事がない備蓄食、触ったことのない道具、買うだけで安心の防災グッズ。
使ってこそ、経験してこそですよね。
大切なのは、日常の中で「備え」を当たり前の行動にすること。
今、この瞬間から何ができるか──
今までの経験と、そこからの想像が「未来への本当の備え」につながると思うのです。
100%回避ができるとは言いませんが、多くの人が自分を助け、家族を助けられれば回避率は100%に近づくと思います。
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