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【原始と革新のあいだで】焚き火と森林香が教えてくれた、これからの“選択力”

コラム
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「便利」と「良い」は、同じじゃない

この数年、キャンプを再開して思うのです。
少しだけ“原始的”な暮らしの方が、なぜか心地いい。

電気は便利、ガスも素晴らしい。
でも、キャンプにおいては、それが必ずしも“正解”とは限りません。

ポータブル電源を使っての電気調理。
やってみましたが、たしかに快適です。
でも、バッテリー切れ時の絶望感、大掛かりな道具達。

電気しかないならそりゃ電気ですが、キャンプに電気は最小限が良いと感じます。
灯油やガソリンを使っていると不便と思うことはありますが、疑問には思いません。
「そういうものだ」と思っていれば「そういうもの」なんですよね。
電気には疑問を感じます、便利からの絶望感と大掛かりな装備に「これで良いのだろうか」と。

寒い季節になると、ガスが不安定に思えることもあります。
ずいぶん改善されたとはいえ、あの灯油の匂いが、今では涙が出るほど“あたたかい力”に思えたり。

最先端よりも“原始”が頼もしい瞬間が確実にあります

かつては煙たくて苦手だった蚊取り線香。
それが、蚊取りマットやスプレーに進化し、便利にはなったはずなのに……
結局、信頼できるのは「森林香」という、もっとも煙い商品だったりします。

炭火もそう。
持久力に驚き、いつもの魚を焼いただけなのに「こんなに美味しかった?」と感動してしまう。

炊飯もまた然り。
どんなに電気炊飯が充実していても、羽釜やダッチオーブンを探している不思議。

今を生きるための“原始感覚”

平日は電気がなければ仕事が回らない時代です。
でも、災害を意識してキャンプを続けていると、ちょっと不便で、ちょっと面倒な生活が、なんだか愛おしく感じるのです。

人も同じ。
理性的な人は増えましたが、野生的な人が減った気がします。
その結果、車が30cm横を通っても気づかないような、感覚が閉じた状態が当たり前になってきている。
不感症に感じてしまうことも。

感覚派を全面的に肯定するつもりはありません。
でも、「自分の身は自分で守る」という当たり前のことだけは、忘れたくないと思うと、野生の力は残しておきたい。
空気を読むの正体だと思っています。

NOVAも、HK500も、SVEA123も、もう“新しくは生まれない”

考えてみれば、こうした名品は、いずれも便利すぎない。
だからこそ、信頼できる。
だからこそ、壊れても直せる。

現代は、便利と良いものを自分で選べる時代です。
どちらかに偏る必要はないのですが、古いものは人気がなければ淘汰されるだけ。
便利というのが、我々消費者にとって便利とは限りません。
大切なのは、「自分で選ぶこと」、そして「選べるように」しておく。

あなたは、どう思いますか?

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