「歩車分離信号」に違和感?京都で感じた“当たり前”とのズレ
先日、京都に行った際、駅を出てすぐに「歩車分離信号」という表示を見かけました。
その瞬間、頭に「?」が浮かびました。
「え?歩行者と車の信号って、分かれているのが普通じゃないの?」
東京や実家の地域など、行動範囲の中では、歩行者用と車両用に別々の信号が設置されており、それぞれが対象の信号を見て動くのが“当たり前”になので、どういうことだろう?
調べてみると、「歩車分離信号(ほしゃぶんりしんごう)」とは、歩行者と車両の通行を時間的に完全に分ける信号方式のこと。
つまり、車が青のときは歩行者は止まり、歩行者が青のときは車が止まる──という、事故防止のための合理的な仕組みです。
ん????????????
それって、言い換えれば、今までは信号は1つしかなかったということ?同時に青になっていたということ?
本当にそんなルールだったの?
難しいなあ。
「なんで当たり前のことをわざわざ書くのか」その背景にあったこと
この表示があるということは、それが当たり前じゃない場所もあったそうです。
かつては、歩行者が青でも車が曲がってくるような交差点が一般的に存在していて、事故も少なくなかったそうです。
確かに田舎ではそういう場所もありましたが、ちょっとでも交通が多ければ車両と歩行者の信号は別になっている。
ということはかなり最近まで車両歩行者兼用信号だったということ?
「自分ルール」で動かない。土地ごとのルールに従う。
今回の経験から強く感じたのは、自分が知っているルールがすべてではないということ。
全国共通に思える信号ですら、地域によって運用や設置方法が異なることがあります。
つまり、「青だから渡っていいでしょ」は、自分ルールでしかないということ。
その土地にはその土地のルールがあり、それはその土地で過去に起きたことや暮らす人々の安全意識から生まれています。
ルールを守るだけでなく、なぜそのルールがあるのかという“経緯”を読むことも大切。
それが、知らない土地でも安全に動くための予測思考だと、歩車分離信号から感じました。
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