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防災士と災害士について考える〜日本全国民に持っていて欲しい防災グッズも紹介

コラム

今回は全国民が知ってほしいグッズを交えて紹介します。

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改めて防災と災害とは

  • 防災:未然に災害を防ぐこと
    車で言えば事故を未然に防ぐ行動や車の設計
    走る曲がる止まるを究極的に高める
  • 災害:災いが起こったこと(を鎮めること)
    災害が起こってしまった時に対処する
    エアバッグや発炎筒、JAF。自動車保険などがそうでしょう

と考えると、防災士と災害士とは、

  • 防災士:これから起こりうる災害を想定し対策を打つ人
    災害を減らし、災害が起こった時の被災者を減らすこと
    予防者
  • 災害士:救助や支援を行う人
    多くの命を救い、後遺症を減らしメンタルケアなどに努める人

となると思います。

災害が起こったら災害士=自衛隊・消防隊員・警察を中心に公務員が中心になって動く訳です。
防災士であっても災害士の指示に従わなくてはならない

事故現場の最前線に一般人が行くことはないでしょう。
火事の現場に消防士の前に一般人が入ることはないと思います。

災害も同じことだと思うのです。

能登半島地震が続いている中で、なんでこんな事を言うのだろう?
感情は何にも変え難い全ての言動の源ではあると思っていますが、気合と根性ではどうにもならない、物理的な対策が必要であると思うのです。

自助>公助>共助/共助が難しいと思う理由

私は日々防災について考え、防災訓練と称して数十年ぶりにキャンプを再開に沼っているおっさんです。

だから防災士の資格を持つ専門家ではありません。
テーマで言えば「極論、我が家族が助かる為にあれこれ考えている人」です。

じゃあ何故、防災について発信しているかというと、「家族や自分が助かることで支援を必要としている人エネルギーを割いて欲しいと思う人を増やしたい」からです。
単に自分助かれば良いという話ではなく、

  • 救助隊の限られたエネルギーを(他の困っている人のために)有効に使って欲しい
  • (この後に登場する)自助活動はすぐに着手でき、自分好みにカスタマイズできるから

つまり自助の意識を促すという事です。
ここで出てきた自助について説明すると、

  • 自助:自分を助ける
  • 公助:国が助けてくれる
  • 共助:地域で協力し合う

となるのですが、その重要性は「自助>公助>共助」と考えています。

自分が助かりたいという人間の本能がありますから自助は伸ばしやすい。
国は多くの命を救うのが使命なので公助も成立しやすい。

ただ、共助については「自分達の備蓄食をどこまで放出できますか?」という問いが分かりやすと思いますが、共助ほど難しいものはありませんというのが理由です。

そして自助は自分好みに仕上げられ、公助は多くの意見を集約した結果=究極のざっくり=痒いところに手が届かないとなる訳です。

自助が伸ばしやすいと思いませんか。

72時間は一人でも多くの命を救う事を優先する=満足な支援はできないから我慢してね

と国が明言しています。

72時間はあくまでも目安であって、多くの命を救い切れるか諦めるまで人命救助はやめられません
「はい、72時間過ぎたら救助終わり」なんて言うわけありません。

被災者も含まれると思うので心が痛みますが、例えば「トイレがない寒いから支援して」と言います。
当然のことですが、それって「トイレがない寒いから支援しろ⇄その為に○○地域の命が奪われます」を天秤にかけている状況であることも事実です。

能登半島の立地、気象状況、地自体の予算を考える非常に厳しいと思うのです。

人命救助の時間を減らし、支援を早める為には?

国は多くの命を救うことを選びます。
多くの命が救い続ける限り支援が遅れるのも当然
です。

この前提がどれだけの人が理解しているか。
多くの命を救うために究極の我慢をお願いしますと言う現実を理解しているか
正しいかどうかはわかりませんが、私はそう理解しています。

人命救助→支援という流れが変えられないならどうするのか、1人1人が問われていると感じるのですがいかがでしょうか。

正しいとは何か、防災の正体とは何か

よく防災士は「正しい」という言葉を使いますが、雪国の人に聞けばかんじきとスコップ、かつての暴れ川・小貝川沿いに生んでいた人はゴムボート、20代の女性は瓦礫で助けを呼びたいからホイッスルが正しい装備

私はどれも正しいと感じてしまいます。
そして防災士の言ってもことも正しいから厄介なのです。

共通するのは、「自分にとって正しい」事を言っているということ。
誰得かと言われれば俺得なんです、全て。
つまり自分で判断し解決したものが正しい

おかしいと感じた本人が解決できる唯一の人。
それが防災の正体なのかもしれません。

防災士は啓発活動だから難しい

家族が助かれば良いという原則はありますが、真意は自分達が助かれば救助支援のエネルギーを他の人に使えるということにあります。

みんながどうなってもいいなんて思っている訳ではありません。
1人でも多くの人が助かって欲しいと願う1人には変わりありません。

私は災害が起これば、災害士の活動が最優先。
せめて防災に関わる人は次の災害が起こらないようにと考えるので

  • 災害士の指示を聞くように促す
  • 災害士が動きやすいようにネットのデータを圧迫を行わない
  • 災害士が動きやすいように交通の邪魔をしない
  • 次の災害が起こらないように対策を打ち啓発活動を行う

事に徹したいと考えています。

前提と条件がキモ

当ブログは前置きが長く本題が短いのが特徴です。汗
理由は単純で、

  • 想定:こういう事を考え
  • 対策:私なら対策します

という私の考えを発信しているからです。
「こんな事が起こった、起こるであろうから、こう考え、こう行動した」がキモなのです。

災害が起こったからこそ、自分の地域を顧みて、家族の顔を思い浮かべながら対策を打つ
国がやってくれないという声が聞こえてくれる今日ですが、国が今日の晩御飯を決めるのではないでしょう。

必要なものは家族や個人によって違います。
その必要なものが何か、どうすれば解決するかを知っているのは、必要なものを導き出した本人です。

見た目もファッションも住んでいるところも違うのに、みんな同じ悩みなんてありません。
本当に困ることは自分でしか対応できません

水・トイレ・暖と聞いて、それをどうやって啓発活動に繋げていくのか/自分にしかできない活動を

今回の能登半島地震では水、トイレ、暖に困っているという記事を目にします。

そのニュースを目にした時に遠いどこかでやってるねと思うのか明日は我が身と思うのか。
防災を考える1人の人間として、自分の考えを提示して、読んでくださった皆さまが使えれば良いし、使えなければ違うだけのことでしかありません。

ただ、4人に1人が住む東京に住み、家族を思う父親の意見として見たらどうでしょうか。

私は国が周りが助けれてくれなかったという理由で家族が帰ってくるとは考えません。
家族が助かり、自分が助かり、災害士が他の助けを必要としている人にエネルギーを向けることができれば良いなと思い今日もブログを書いています。

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