防災には自助・共助・公助があります
私は分布を考える時に
- これは絶対好き&分かり合える
- 無関心&状況次第でどうにでも転がる
- 一生気に入らない
と3つのゾーンに分けて考えます。
例えば、キャンプは20%の好きと20%の大嫌いがいて、その間をどちらでもない人が状況によって変えている。
コロナで出かけられない人が自己解放したくてキャンプをしていた(=キャンプブーム)。
コロナも落ち着き、行きたい場所にも行けるようになり、案外お金がかかるキャンプはもういいやと離脱して、残った(元に戻った)のが今のキャンパー。
東関東大震災後に一番変わったのがみんなスニーカーを履いていました。
時間が経てばヒールや革靴に戻り、スニーカー人口が減った。
絶対好き嫌いが20%かはどうでも良くて、グレーの人が流動的に市場を動かす人が大部分を占めるそんな世界であると理解してくだされば良いと思います。
これを自助・共助・公助で考えると
- 自助:自分の身は自分で守る
一番シンプルで責任分解点が明確な方法です。 - 公助:近隣・地域で助け合う(被災者同士も)
困ったら助けてあげなさいとお母さんから言われたあのセリフです。
助け合いの精神です。
大切。 - 公助:行政による支援
国・県・市町村・病院・警察など公務員が多く関わる部分ですね。
快適度を求めるなら自助>共助>公助の前提を知る
- 国(自治体)は多くの命を救うと明言しています。
国は多くの命を救う=死亡者を少なくするという事です。
命に優先はないけれど、多くの命を救うのかには優先があるという事です。 - そして、72時間は人命救助に徹するのでどうか生き延びてくださいとも言っています。
つまり、72時間後に食事や毛布を配りますと言う事です。
災害時に「なんで助けてくれないんだ!」と声を上げますが、声が上げられるなら元気じゃないか!って事です。
言い方を変えるなら72時間以内なら人命救助を優先するので他を助けますよ、ということになります。
元気な人こそ快適を求め、力無い人こそ快適が必要。
という事は元気な人こそ快適が欲しいなら自力=自助、力無い人こそ公助の力が必要となるということです。
共助のありがたさと恐さは表裏一体
自助は自分次第。
公助は国力が試され、国力低下を防ぐという事ですから、言ってみれば仕事です。
恩恵を受けられるかは別として確実なクオリティーがあります。
問題は共助。
共助はリーダーシップや、その地域に住む人の設備、それそれの状況により大きく変動します。
自分の置かれている状況や家族の状況です。
最初は強力し合ってとなりますが、子供が熱を出したから手伝えない。
モチベーションが低下し、家から出ない。
食べるものが少なくなり、みんなに振る舞えないと判断した場合。
考えれば無限に出てきそうです。
共助はボランティアであり、強制ではないという事です。
そして協力しないから、助けないという事でもありません。
刻々と変わる状況の中でできる範囲でやるという究極のグレーゾーンなのです。
求めない期待しない、恩恵には感謝を。
この精神が途切れた時にあっさり崩壊します。
そう考えると、
自分で納得したいのなら自助を優先し、72時間後の公助に繋げる。
余力があるなら共助を手伝うという感じになるのではないでしょうか。
自助を極めてこそ〜72時間の自分がどうありたいかを考える
極めるなんて書きましたが、自助に取り組まないと共助を崩壊させ、限りある公助に文句を言うだけになります。
タダ飯にケチをつけているようなものです。
全員が自分を救う、家族を救うで良いのです。
みんな1人1人が自力で助かれば良いのです。
そうすれば共助の力は困っている人に、公助はこぼれ落ちそうな命に使われます。
自助は間接的に人助けに繋がる行動です。
1人1人は72時間後の支援を受けるまでどうありたいかを考えます。
- 快適さが欲しいのか
- 最低限の食事があれば良いのか
- 怪我せず身を守れれば良いのか
どれを優先しても良いと思いますが、我が家は選択時に「耐風」「一体型」「小学生でも使える」と言う条件で選んでいます。
文句=備えてない。
とまでは言いません。
状況によって必要なものが変わるわけですから。
ただ、自分が欲しいものを知っているのは自分ですから、欲しいのもは備えておく精神は必要だと思います。
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